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歩きはじめた赤ちゃんと犬猫たちと奥さんとの素敵な日々!


by papanatti
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夏だね、なっちゃん!

で、赤ちゃんはどうなっているかというと…
きょうで1歳10ヵ月になる。
保育園にもすっかり慣れて、毎日「おぽたちー」(おともだち)といっしょに
楽しく過ごしている。
言葉は、いくつかの単語と「だー」「ねー」の組み合わせ、および
「これだれ?」(「これなに」の場合もある)、「ババーイ」(バイバイ)、
「ちょーだい」「おいちーねー」「ハイ」などなど。
有紀のことは「たーたん」、私のことは「とーとー」。

なっちゃんは何でもよく食べる。
ごはん、納豆、ひじき、もずく、煮豆、かぼちゃ、コロッケ、豆腐、
ちくわ、卵、トマト、ハンバーグ、しゅうまい、もやし、パン、うどん…
歌と踊りが好き。
体がよく動く。公園では際限なく遊ぶ。
よく笑い、よく泣く。

予防接種はいっさい施さず、薬剤はいっさい服用しない。
調子が悪いときだけ、該当するレメディを舐めさせる。
要するに、体に不自然な薬物や有害な食品を
可能な限り与えないということだ。

さりとて無菌状態にしているかというと、とんでもない。
犬2匹に猫1匹が同居しているものだから、
ホコリや抜け毛や、それこそオシッコや糞のかけらなどが
家中にくっついているはずだ。
毎日床を掃除機で吸い取ってはいるけれど、
完全に除去することなんて到底不可能だ。

それでも今のところ、このうえなく元気で育っている。
ありがたいなあ、としみじみ思う。
これはそういうふうに体をつくって育ててくれている
有紀の力のおかげである。
この力は、本当に大したものなのだ。
# by papanatti | 2006-06-27 00:51 | 赤ちゃん

斎藤晴彦の実力

きのう、神楽坂のシアターイワトで、
ベルナール=マリ・コルテスの『森の直前の夜』を観た。
じつはそれほど期待して行ったわけではなかったが、
終わってみると近年にない充実感があった。

出演は、黒テントの斎藤晴彦。一人芝居である。
開演ベルも鳴らないまま、客席がすうっと薄暗くなった。
すると、舞台上手に男がひっそり立っていて、
何やらぼそぼそとつぶやきはじめる。
だんだんと、その言葉はそこにいない誰かに向けて
発されているらしいことがわかってくる。

声は聞きなれた斎藤さんの声だし、例によって西欧不条理劇が
始まったのかなと、ぼんやり思っていた。
いったいこの主人公は、若いのか、年寄りなのか。
雨が降っているらしいが、どこにいるのか。
男が話しかけていると思われる「あんた」は何者なのか。
それらはいっさい説明されず、
際限のないモノローグが耳の中に入ってくる…

そのうち、奇妙な感覚に襲われだした。
目の前でしゃべりつづけるこの男は、斎藤晴彦によく似た
これまで会ったこともない異邦人なのではないか?
姿かたちはまぎれもなく日本人だし、口から出てくるのは日本語なのに、
どこか見知らぬ国の片隅で、わけのわからないことを
吐き出しつづける国籍不明の男に見えはじめたのだ。

彼の思考、彼の孤独、彼の感情などが、
勝手に耳入り込み、頭に、胸にもぐりこんでくる。
驚いたことに、それが決してわずらわしかったり、不愉快だったりしない。
彼は芝居の最後のほうで、駅の通路にいたときに感じた、
周囲の人間にたいする凶暴な衝動を語るが、
そのころには彼の抱えている闇に、心が共振するまでになっていた。

で、芝居が終わり、客席の明かりがつき、斎藤さんが一礼すると、
つい今しがたまで姿が見えていた「あいつ」は消えてしまった。
拍手、拍手。
これはすごいと思った。今のはいったい何だったんだ?
ものすごく久しぶりに「いいものを観た」気がした。
そのせいだろうか、けさ起きたとたん、
「きのう会ったあの男、今ごろどうしているんだろう。
どこかで寝床とメシにありつけたかな」
と思ってしまったのだった。

そして、芝居はひとえに役者にかかっているのだと思った。
# by papanatti | 2006-05-14 18:31 | 映画演劇

もうすぐ1歳8ヶ月

すっかり冬が終わって、もうすぐ5月。もうすぐ1歳8ヶ月_c0073018_235532.jpg
今月は娘が保育園に行き始め、やっと新しい生活リズムに慣れてきたところだ。
だが、ひとつ残念なことがある。
保育ママさんのところでは、毎日公園に散歩に行って
ブランコや滑り台で遊んでいたのに、保育園ではまだ外遊びをさせてもらえず
一日中室内で過ごさなくてはいけないものだから、そうとう欲求不満になっている。

それでも朝、家を出るときはみんなに「バイバーイ」とあいさつして
機嫌よく出かけてゆく。
園では昼ごはんもおやつもよく食べるし、ほとんど問題なく過ごしている。

帰ってくると、すぐに晩ごはんを食べる。
好き嫌いもあまりなく、きょうは焼いたタラと切り昆布、しめじの味噌汁を
ばくばく食べた。
好物は、ごはん、味噌汁、納豆、イカの塩辛、しゅうまい、卵焼き、もやし、
果物なんでも、ヨーグルト、硬めのビスケットなど。

いまのところ超がつくほど健康だが、そのうち麻疹や水ぼうそうなどを
もらってくるはずだ。
それらのいわゆる予防接種を受けさせていないのは、おもに有紀の直感と
研究による。
日本では、なにやら国を挙げて予防接種を受けさせようという風潮が盛んだが、
そんなに必要なことなのか。受けさせたために具合が悪くなったり、
死んでしまったりしても、それはほとんど報道されない。

そんなワクチンを、直接体のなかに注入するなんて、恐ろしくてできないし、
その後遺症だって、ちゃんと知らされていない。
いわゆる西洋医学の治療法を、無条件に信用することはできないのだ。
じゃあどうするか。
有紀が選んだのはホメオパシーである。

現代医学は「病原菌が体内に入り込むことによって病気になる」という
説の上になりたっている。
だから治療とは、薬(ミサイル)を投入して病原体(敵)を攻撃することになる。

しかし、私の理解したかぎりホメオパシー理論では、そうではなく
「病気は、外部からの刺激を受けて体がそれに反応している状態」だと考える。
だから、敵が体のなかにいるわけではない。その反応を鎮めるのも
基本的には自分自身で、自己治癒力を高めることが快復につながるわけだ。

この考えかたは奥が深く、なかなか分かりにくいし、具体的な処方も
ホメオパスと呼ばれる専門家にアドバイスを受けながらじゃないと、
効果が生まれないようだ。
有紀は自分と娘の自衛のため、少しずつ勉強しはじめたところだ。
# by papanatti | 2006-04-22 23:08 | 赤ちゃん

久世光彦さん

2日に亡くなった久世さんの葬儀がきょう行なわれた。
私よりひと廻り上の70歳。かなり突然の死だったらしい。
葬儀を映すテレビで久しぶりに森繁久弥の姿を見た。この人は92歳。
杖をつき、両脇を支えられながらも、自分でなんとか歩行していた。
故人への想いもあるだろうが、「俺は生きてるぞ」という
世間へのアピールもあったにちがいない。

久世さんとは、彼が最初の本『昭和幻燈館』を晶文社から出したときの
担当編集者として会ったのが最初だった。
打ち合わせはいつも「赤プリ」こと赤坂プリンスホテルのバーだった。
薄暗いボックス席で、雑誌連載の記事の取捨選択、原稿整理、校正、
そして書名決定まで、けっこうひんぱんにお会いした。

本が完成した時、お礼にと、ロンドンみやげの洒落たセーターを
いただいた。
久世さん自身、おしゃれだったが、派手というのではなかった。
オーソドックスでシックなダンディを狙っていたのだろう。

最後にお話ししたのは3年前、坂川さんの『遠別少年』を出版した時だ。
本を読んでいただこうとお送りし、数日後に電話をした。
「あー久しぶり。本、届いてるよ。なかなかいい装丁だね。
ゆっくり読ませてもらうよ」
と言ってくれたが、その後、感想を聞きそびれたままだった。
まだまだ現役で活躍されると思っていたが、あっけなかった。

樹木希林さんがテレビの取材で
「(こんなにすばやく亡くなったのは)うらやましい。
『どうだ、うまくやったろう』って、電話がかかってくるんじゃないかしら」
とコメントしていたのが印象に残った。
ご冥福をお祈りします。
# by papanatti | 2006-03-07 23:54 | 映画演劇

矢野さん

またもや、「リトル・ドッグ・プレスわんにゃん」(第37号)からの転載です。
  
             ****************

  矢野顕子さんが、3月発売のニューアルバムのプロモーションのために
  2月中、帰国されていました。
  きのう放映されたNHKの「音楽夢くらぶ」に出演していました。
  司会は中村雅俊、共演は森山良子で、矢野さんのピアノに合わせて
  2人の歌をたくさん聴かせてくれました。
  
  デュエットはどの曲も、とてもきれいなハーモニーをかもし出し、
  さすがでした。

  合間のおしゃべりで、矢野さんが
  「わたしは『のべつ幕なし』っていう言葉を、ずっと『のべつクマなし』だと
  思っていて、家でいつもそう言っていたんですが、あるとき娘の美雨が、
  『それ、<のべつ幕なし>でしょ』と言ったのね。
  『ん? …世間ではそうかもしれないけど、うちでは<のべつクマなし>
  でいいの!』って」
  と言うので、みんな大笑い。

  こういう軽い言い間違い、誰にでもありますよね。
  気がついていないけど、人が聞いたらクスッと笑ってしまうような。
  それと、自分の家でしか通用しない言葉を発したとき、
  「何それ?」と聞かれて初めて、それが地域限定というより世帯限定の
  言葉なのだと気がつくこともありますね。

  考えてみれば、言葉も通貨みたいなものですから、意味が通れば
  何だっていいはずです。
  だから、矢野さんが言ったように、「うちではコレでいいの!」というのは
  まったく正しい主張だと思います。
  
  それに「のべつ幕なし」って、
  「幕が上がりっぱなし=終わりがない=ひっきりなし」の意味だろうから、
  「のべつクマなし」っていうのは
  「熊がこない=いつも安全=ずうっと続く」というイメージで、
  なかなかカワイイじゃありませんか。

  で、矢野さんの特集記事が、もうすぐ青森の地方紙「東奥日報」に
  出るのですが、そこで『しょうぼうていハーヴィ ニューヨークをまもる』
  紹介される予定です。
  青森は、矢野さんの実家があるところ。どんな記事になるのか楽しみです。
# by papanatti | 2006-03-07 10:57 | 出版社