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歩きはじめた赤ちゃんと犬猫たちと奥さんとの素敵な日々!


by papanatti
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兄の急逝 その1

予期もしなかった。
人はいつかは死ぬと知っていたつもりだが、今回はその速さに
心がついていけなかった。
「生ならば 明るいの
死ならば すばやいの」 (長谷川四郎訳)
とブレヒトはうたったが、そんな感じで兄は逝った。

兄・秋吉和夫は私より7年早く、昭和16年の日米開戦の日に神戸で生まれた。
9歳のとき東京へ移転、世田谷区三軒茶屋で少年時代を過ごした。
東大でドイツ文学を学び、筑摩書房に入社。
雑誌「言語生活」の編集をまかされ、「展望」で文芸を担当した。
1960年代の「展望」は活気があり、「世界」とも「文藝春秋」とも違う
独特の味を出していたと思う。
金井美恵子が太宰賞候補になったときは、私たち高校生の間でも話題になった。

それから単行本やシリーズものを担当するようになり、「現代漫画」
「江戸時代図誌」「世界版画大系」などの仕事を次々とこなしていった。
兄より7年あとに、私は晶文社に勤めるようになり、たまに兄の行きつけの酒場で
いっしょに飲んだりした。

あのころから彼にとって、酒は仕事上なくてはならないもの、というより
仕事の基本の位置を占めていた。
会社の帰りはコースのように、必ず立ち寄る飲み屋、酒場、バー、スナック
などなどがあちこちにあり、同僚や作家、仕事仲間、友人たちが入り乱れて
酒を酌み交わす日々が毎日続いた。

たしかに当時、彼は酒に強かった。飲んでいるあいだは上機嫌で談笑し、
どんなに酔っ払って帰っても、翌日は平気な顔で仕事に戻っていたらしい。
それが筑摩流の「酒の美学」だったという。
要するに若かったのだ。

兄の酒がおかしくなったのは、一粒種の息子を13歳で失った時からだった。
悲しみに足を取られ、飲み方が異常になった。
天を呪い、自分を責め、悔い、嘆く酒。
はたで見ていても、いまにもポキリと折れそうにあぶなっかしい姿だった。
by papanatti | 2005-10-31 20:06 | 家庭