歩きはじめた赤ちゃんと犬猫たちと奥さんとの素敵な日々!


by papanatti
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カテゴリ:映画演劇( 3 )

斎藤晴彦の実力

きのう、神楽坂のシアターイワトで、
ベルナール=マリ・コルテスの『森の直前の夜』を観た。
じつはそれほど期待して行ったわけではなかったが、
終わってみると近年にない充実感があった。

出演は、黒テントの斎藤晴彦。一人芝居である。
開演ベルも鳴らないまま、客席がすうっと薄暗くなった。
すると、舞台上手に男がひっそり立っていて、
何やらぼそぼそとつぶやきはじめる。
だんだんと、その言葉はそこにいない誰かに向けて
発されているらしいことがわかってくる。

声は聞きなれた斎藤さんの声だし、例によって西欧不条理劇が
始まったのかなと、ぼんやり思っていた。
いったいこの主人公は、若いのか、年寄りなのか。
雨が降っているらしいが、どこにいるのか。
男が話しかけていると思われる「あんた」は何者なのか。
それらはいっさい説明されず、
際限のないモノローグが耳の中に入ってくる…

そのうち、奇妙な感覚に襲われだした。
目の前でしゃべりつづけるこの男は、斎藤晴彦によく似た
これまで会ったこともない異邦人なのではないか?
姿かたちはまぎれもなく日本人だし、口から出てくるのは日本語なのに、
どこか見知らぬ国の片隅で、わけのわからないことを
吐き出しつづける国籍不明の男に見えはじめたのだ。

彼の思考、彼の孤独、彼の感情などが、
勝手に耳入り込み、頭に、胸にもぐりこんでくる。
驚いたことに、それが決してわずらわしかったり、不愉快だったりしない。
彼は芝居の最後のほうで、駅の通路にいたときに感じた、
周囲の人間にたいする凶暴な衝動を語るが、
そのころには彼の抱えている闇に、心が共振するまでになっていた。

で、芝居が終わり、客席の明かりがつき、斎藤さんが一礼すると、
つい今しがたまで姿が見えていた「あいつ」は消えてしまった。
拍手、拍手。
これはすごいと思った。今のはいったい何だったんだ?
ものすごく久しぶりに「いいものを観た」気がした。
そのせいだろうか、けさ起きたとたん、
「きのう会ったあの男、今ごろどうしているんだろう。
どこかで寝床とメシにありつけたかな」
と思ってしまったのだった。

そして、芝居はひとえに役者にかかっているのだと思った。
by papanatti | 2006-05-14 18:31 | 映画演劇

久世光彦さん

2日に亡くなった久世さんの葬儀がきょう行なわれた。
私よりひと廻り上の70歳。かなり突然の死だったらしい。
葬儀を映すテレビで久しぶりに森繁久弥の姿を見た。この人は92歳。
杖をつき、両脇を支えられながらも、自分でなんとか歩行していた。
故人への想いもあるだろうが、「俺は生きてるぞ」という
世間へのアピールもあったにちがいない。

久世さんとは、彼が最初の本『昭和幻燈館』を晶文社から出したときの
担当編集者として会ったのが最初だった。
打ち合わせはいつも「赤プリ」こと赤坂プリンスホテルのバーだった。
薄暗いボックス席で、雑誌連載の記事の取捨選択、原稿整理、校正、
そして書名決定まで、けっこうひんぱんにお会いした。

本が完成した時、お礼にと、ロンドンみやげの洒落たセーターを
いただいた。
久世さん自身、おしゃれだったが、派手というのではなかった。
オーソドックスでシックなダンディを狙っていたのだろう。

最後にお話ししたのは3年前、坂川さんの『遠別少年』を出版した時だ。
本を読んでいただこうとお送りし、数日後に電話をした。
「あー久しぶり。本、届いてるよ。なかなかいい装丁だね。
ゆっくり読ませてもらうよ」
と言ってくれたが、その後、感想を聞きそびれたままだった。
まだまだ現役で活躍されると思っていたが、あっけなかった。

樹木希林さんがテレビの取材で
「(こんなにすばやく亡くなったのは)うらやましい。
『どうだ、うまくやったろう』って、電話がかかってくるんじゃないかしら」
とコメントしていたのが印象に残った。
ご冥福をお祈りします。
by papanatti | 2006-03-07 23:54 | 映画演劇

黒テント

4月1日から、神楽坂に新しくオープンした劇場
「シアター・イワト」で、いま劇団黒テントが
杮落としとしてフランスの劇作家コルテスの
『ロベルト・ズッコ』を上演中だ。

私と黒テントも、ずいぶん長いつきあいになる。

もとはといえば高校時代、私は役者志願だった。
卒業後、桐朋学園短大の演劇科に入学したが、10ヵ月で中退した。
時はまさに1968年、世の中全体がざわめいていた頃だ。
私は桐朋を中退したあと、六月劇場と出会い、
劇団に出入りするようになった。
彼らは自由劇場、発見の会と合同して〈演劇センター68/68〉を結成、
これが黒テントの母体になった。

私は数年後ここからも脱落し、結局出版社(晶文社)に就職
することになり、以後18年間にわたって編集者として勤めた。
70年代初頭はけっこう演劇関係の本をよく出していた。
ブックデザイナーの平野甲賀さんとも、毎月のように仕事をした。
平野さんは同時に黒テントの舞台美術・広告宣伝のデザイナーでもあり、
私は公演のたびに芝居を見に行っていた。

それがあるときから、あまり足を運ばなくなった。
なんだか面白くなくなってしまったのだ。
たまーに見に行くことがあっても、見ているのが気恥ずかしいような、
腹立たしいような感じになり、しぜんと足が遠くなっていた。
その間、黒テントの代表・斎藤晴彦さんの本はつくっていた。
斎藤さんだけは、まともに見ていられる役者の一人だったし、
なによりも文章がとてもおもしろい。

最近はまたポツリポツリと見に行くことがあるが、
もうすっかり顔ぶれは若手に入れ替わり、昔からのメンバーは数えるほど。
しばらくその状態が続いていたが、こんど劇団が引っ越したという。
かつての都立家政から、神楽坂の古いビルへ。
その第1回目の公演というので、3月31日、
ひとりで大詰めの舞台稽古をのぞいてきた。

舞台稽古といっても、もうすっかり本番の道具立てで、
スタートからラストまで通しでの舞台。
ちょっと遅れて行ったので、すでに最初の場面がはじまっていた。
それから約2時間弱、途中首をひねるところもあったが、
おおむねなかなか緊張感のある、いい芝居だった。

終わって久しぶりに平野さん、演出の佐藤さん、
制作の宗重さん、女優の桐谷さんらと言葉を交わした。
会いたいと思っていた晴彦さんは前日みんなを激励して、
芸術座の『放浪記』に出演のため、九州に行ったとのこと。

外で、あとから出てきた元メンバーの服部さんと
これまた久しぶりにお茶を飲みに喫茶店に行った。
積もる話に花を咲かせ、11時過ぎに帰宅。
もと六月劇場のメンバーは、ずいぶん若死にしたと言われて
そういえばそうだなあと、いろんな顔が頭をよぎった。

芝居はこんどの公演中に、もういちど見てみたいと思っている。
by papanatti | 2005-04-06 18:13 | 映画演劇